うめこのFX投資日記 

〜ぼっちで戦うママFXトレーダーの自由への道のり〜

色とりどりのランドセルは個性か

 

こんにちは〜ニィッ(ΦωΦ)

 

この間のブログに『日本の小学生の重すぎるランドセルの現状』のついて書いたのですが、なんと。。

 

その続きがあります。

 

学校の先生からお電話がかかってきました。娘の持ち物に関してのお願い的な感じです。

 

と、いうのもことの始まりは先週、授業参観があったんですね

 

で、授業の後先生とお話する機会があったのですが、教科書は基本的に毎日持ち帰ってほしいと・・・

 

おいおい!! 

 

置き勉許可するってニュースはどこいったんじゃい!まだ肝心の先生たちに反映されてないじゃないですか!!

 

と、いうことでその場では一応 「そうですか〜。まあ荷物が重すぎるそうなのでその日家で使わないものは置いてきていいよと伝えております〜」とやんわり流す

 

先生も「そうですよね〜重いですよね〜でも家庭学習してほしいという思いもあるので〜」って感じだったのでまあ・・・いいかと。

 

しかし家に帰って考えてみたんですが、そもそもランドセルである必要ってあるのかと。。

 

だって、ランドセルって本当に重い。いくら軽量化したって重い。

 

硬い。使いにくい。高学年には小さい。実用性がない。

 

こんなこと言ったらランドセル作っている人に怒られちゃうかもしれませんが時代と共にランドセルに変わる機能性と子どもの体に合う(そして金銭的にも優しい←コレ大事)ものに変えていくべきですよね。

 

色だけカラフルに色々出したって。。。。

 

とにかく娘には最近、ランドセルが重くて使いにくいので他のリュックにしたいと言われていたのでコレを機に考えてみました。

 

学校の決まりでも特にランドセルである必要はない(できればランドセル)とのことだったので早速サーチ

 

あんまり派手でない(パット見ランドセルに見える)

 

かつ機能性に優れていて

 

かつ耐水性に優れていて

 

かつ軽く、教科書などの重みに耐えれる強いものを探しました。

 

いろいろ見ましたよ。Amazonでも店頭でも

 

でも肩紐が細いとか教科書類を入れた時に形が崩れる、物を出し入れしにくいなど色々と問題がありましてなかなかコレ!っていうものが見つかりませんでした。

 

そんな中やっとコレだ!!!というものを見つけたので早速購入し、翌日から娘はそれで登校していったんです。

 

からの、先生からの電話です。。。(´・ω・`)

 

結局先生のご意見は「ランドセルじゃないから重たいんじゃないですか?」というもの。

 

ん???

 

これにはうめこさんの頭も( ゚д゚)ポカーンです

 

いやいやいや、ランドセルが重たい+教科書すべて持ち帰るって話からリュックにしたのにリュックにした日にランドセルじゃないから重たいんじゃないでしょうか?ってどうしたらそうなる??(?_?)

 

さらに「クラスのみんなもランドセルじゃないのー?とびっくりしていたようなので」

 

と、どうやらこちらが本音ですね。。。やんわりランドセルに戻しなさい攻撃。 

 

ランドセルのほうが軽いという意味はよくわからなかったけど、そうですか、ランドセル壊れてしまったのでと伝えました

 

(ちなみにうちはランドセルセカンドハンドで譲って頂いたもので本当にフタの開け締めの回すところが壊れているのと腕を通す部分の下が壊れかけている)

 

わかりますよ。先生だって本当はランドセルだろうがリュックだろうだどうでもいい。

 

一応みんなの手前、他の先生方の手前そう伝えておかないと後々他の生徒や保護者や先生に言われた時に面倒だから「一応伝えました」っていう記録を残したいだけだって

 

もしくは完全に学校社会に洗脳されて規律どおりではないものは受け入れられないのか。。。

 

前者だといいけど。

 

というわけで、長々と書きましたがお気付きの通り置き勉の話からはずれています。

 

今回言いたいのは、とにかく規律が大好きな日本で個性をや自分の良いと思うことを貫くのには障害がともなうということです

 

子どもたちも〜でなければいけないという考えがどっぷり体に染み込んじゃっている感じがします。

 

人と違うことがいけないことのように教えられているように思います。

 

たかがランドセルの話ですけど、親も子供も日本全体ももっと広い視点で物事を見ることができたらいいなって思います。

 

違う肌の色だって、カタカナの名前だって、学校にあんまり来ない子がいたって、持ち物がお揃いじゃなくたってそういうのもアリだって

 

人は自分とは違う

 

みんなそれぞれ考え方が違うって

 

それが当たり前なんだって

 

たくさんの個性の集まりの中で本当に必要なルールを決めていけばいい

 

多国籍の集まる国では本当にクラスのみんなが違うんです

 

親の国籍もヨーロッパ圏からアジア圏、アメリカ、カナダ、インドオーストラリア原住民の子どもも一緒のクラスになるんです

 

国が違えば見た目も違う、宗教だって、家で使う言葉も違う。そうなれば常識なんてないんです

 

共通点がないのは時にすごく良くて

 

自分を当たり前にしない、そういう考えもあるねって他人を尊重するという考えになるんです

 

もっと自由で、個を尊重する、そんな日本の教育が広がればいいなと思います。

 

いつも見えているあたりまえのものの先には大きな空が広がっているかも

 

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ありがとうございました (ΦωΦ)